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by gcsc 小さなお知らせ
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29日、みんなの展示場 中村洋久絵画館で来年1月7日から開催する、さいとうじゅんさん・橋本圭一さん、そして僕の「旅の途中 絵とことば展」の作品搬入・展示をしてきました。※展示の詳細については。このブログの左下にある「展覧会『旅の途中 絵とことば展』のお知らせ」を参照してください。
今回の展示は、ほとんどが既製の「色紙(しきし)」を使ったものだ。色紙をタイルのように並べて一枚の大きな絵にした作品が3点あり、これが今回の展示のメインといえるだろう。短歌を色紙に書き込む作業は色紙一枚一枚がバラバラの状態で行なってきたので、全体としてどうなるか、今日迄判らなかった。さいとうさんが徹夜でベニヤ板に貼ってきてくださった作品を見てみると、大きさのために迫力がある面白い作品に仕上がっていた。橋本さんの詩と僕の短歌が、関係がありそうでなさそうな感じでまじりあっているのもミソだ。 今回の展示の準備で学んだことはいろいろある。最終段階でちょっと無理がかかってしまったものの、やってみて本当によかった。さて、僕が何を学んだかは、おいおいこのブログで書いていくこととして、今はお客様が来てくださるかどうかがとにかく心配…。とりあえず、僕は7日・8日と会場につめるつもり。9日は仕事があるので、行けないけど。 ![]() 無理な姿勢で作品の最終調整をする橋本氏 ![]() こんな感じの展示です 今年の仕事も終わり、本当は今の僕はすごく気が抜けているんだ。自分にとって不思議なことがたくさんあった2005年は、このボケラ〜ッとした気分の中で終わっていく。 それでは皆さん、よいお年を。来年もこの場所でお会いしましょう。
●23日、さいとうさんから電話があり、Hachioujiに絵を受け取りに行く。当然のように、橋本さんも来ていた。絵を拝見しつつ、軽く打ち合わせ。まだお見せできないけど、絵は本当、いいですよ。来場を予定されている方は、どうぞお楽しみに。
さいとうさんとはHachioujiで別れて、橋本さんと僕はTachikawaへ。最近、また僕は、コーンパイプ(とうもろこしの芯で作ったパイプ。マッカーサーが日本にやってきたときにくわえていたのが有名だけど、僕がこれを知ったのはたがみよしひささんの漫画「軽井沢症候群」です)を吸っていたのだが、煙の通りが悪くて楊枝で突っついているうちに底が抜けてしまった。仕方ないので奮発して木のパイプを購入することにし、そのパイプ選びに橋本さんもつきあってくださった。吸っているシルエットがぐっとおっさんくさくなる方がいいな、と心中ひそかに考えていた僕は、タバコの葉を詰める部分がぐっと下がっているタイプのパイプを選んだ。 その後、白い文字を書くための道具を探して画材店に立ち寄り、結局橋本さんと飲んでしまった。短歌と詩、お互いの手の内を晒し乍ら、いろいろと話し込む。多数の詩をひねり出すのに橋本さんも苦労されているご様子、しかし同時に、この困難を楽しんでおられるようだ。流石だ。 あまりに調子に乗って飲んでいたので、帰ったら気持ち悪くなってしまった。 ●24日、気持ち悪さがおさまる迄寝ていたらもうお昼だ。自転車でFuchuへ。喫茶店で開催されている、高田美苗さんというイラストレーター(詩とメルヘンにゆかりの深い方)の個展を見るためだ。今回は銅版画。すごく緻密な作品で、質感がよく出ており、単色なのに豊かな色彩が感じられる素敵な絵だ。昨日話しておいた通り、電話をかけたら橋本さんもやってきて、作家さんご本人にお会いできなかったことを二人でくやしがった。昨日の酒が残っているのか、どうも話もはずまない。しかし、珈琲はうまかった。 コインランドリーに寄ったあと、家に自転車を置き、この日は夜にも外出。我がTachikawaにはS記念公園という国営の公園があって、冬12月には毎年イルミネーションが点灯し、土曜日には花火が上がる。僕は一回も見たことがなかったけど、今年は思い切って行ってみた。 会場に着いてみて驚いた。非常に寒いのに、ものすごい人出だ。しかも来てるお客さんといったらLoversばっかり。激しく嫌になるが、花火が上がる迄待ち、しっかり見物してきた。時間的には花火はものの5分で終わってしまうのだが、気合いが入っていて美しかった。終わる直前、お客さんから自然と拍手が起こった。こういうのは何かいいものだな、と思う。 花火のあとの煙る空には白鳥座が見えていた。この感覚をいつか歌にできたら、とも思った。 (今年の「冬の花火」は終了しました。) ●25日、ひとつ私用を済ませたあと、お預かりしてきたさいとうさんの絵に短歌を書き込む仕事にかかった。とはいえ、途中で本を読んだり、パイプを詰まらせてしまったりで、だらだらと5時間ほどもかかってしまった。並べて見てみると、いい絵に下手な字。軽く落ち込む。しかし、量が増えてくるにつれ、なんだか巨大な絵本ができ上がってきているような感じがする。この感覚は悪くない。 さてそんな展覧会準備の山場が、29日迄続きます。よって、このブログへの書き込みもまたお休み。なんとか年内、30日には1年を終えるにあたってのご挨拶として再登場したいつもりなのですが、はたして? それではまた、この場所でお会いしましょう! ![]() イルミネーションの、比較的出来の良かった写真
いやはや、近ごろなんかバタバタしてて。このまま忘れちゃうといけないから、とりあえず1行だけ!
メリークリスマス!素敵なクリスマスを!
(非公開コメントさんからの話題を受けて、問題のない範囲で話を続けます。ディズニーネタをもうちょっと引っ張らせていただきます。)
東京ディズニーランドの入り口近くは、古き良きアメリカを彷彿とさせる商店街になっているのをご存知の方も多いことだろう。ところで、あの商店街の家並みの「2階」を見た方っています? 手帳に記録が残ってないからもうだいぶ昔のことになると思うけど、僕はあそこの2階の一室で行なわれていた展示を偶然見られたことがある。「アトラクションはウォルト・ディズニーのアニメーション製作のポリシーに基づき、このように立案・建設されております」みたいな内容で、アトラクションのラフスケッチや人形の動き方の説明、断面模型などを目にすることができ、とても興味深かった。 寡聞にして、それ以降そのような展示が行なわれているという話を聞かない。まあ、夢の裏側をちょこっと見せてしまうようなものだから、こういう展示はそう頻繁にはやらないことと思う。しかし、作り込まれた2階は書き割りや倉庫としてではなく、ちゃんとした部屋として確かに存在していたのであります! だったらあの2階は、普段は一体何に使われているんだろう? プレスルーム? VIP用? まさか、園内で急に具合が悪くなってしまった人のための「保健室」じゃあるまいな…。想像は勝手にふくらんでいってしまう。あの2階に行ったことのある方で、ディズニーランドさんの権利・ポリシーに抵触しない話題をお持ちの方は、ぜひコメントに書き込んでください!
●「笹公人の短歌Blog」お題「アニメキャラ」で、優秀作入選。
「オバケのQ太郎」 いつになく雄々しく立ったQ太郎魚沼産の米の白さで ●「NHK短歌」佐佐木幸綱先生選 お題「川」で佳作。 眼前に光の凝る場所ありてそを川面とは気づかざりけり 今日はなんだか、「思いがけないところからクリスマスプレゼントをいただいた」ような日でした。そしてここに、橋本甜歌りんの写真集が!
実は昨日(あ、もうおとといか)、僕は休暇を取って、東京ディズニーシーに行ってました(まさかウチの社長、このブログお読みになってはいないだろうな…)。「アニメ短歌」の取材という訳ではなく、純粋に娯楽です。楽しかったですよ。この夏に新しくできたというジェットコースタータイプのアトラクション「ライジングスピリッツ」には、3回も乗ってしまった。僕はディズニーシー(もしくはランド)に行くときであっても、大概男一匹である(こう言うと、たいてい「変だ」って返されちゃうんだけど…。独人の方が、並んでいるときに気を使わなくて済むから楽だと思うんだが。ま、一緒に行ってくださる女性(にょしょう)もいないことだしさあ!(ヤケ))。このアトラクションには、「シングルライド」という乗り方があった。これは、一人客を、奇数グループが使っていて空いた席に座らせてくれるというシステムであり、全くもって一人客の僕はこれを有効に使わせていただきました。縦に仕切られている通路の、ほとんど誰もいない方を進んでいくのは、申し訳なかったし、恥ずかしかったけれども。
もうちょっと若い頃、僕はジェットコースターが好きで、いろいろ乗っていました。最近はさすがに年のせいか、絶叫マシーンが少々辛くなってきてますが。その経験からすると、こちらのアトラクションは「マイルド」タイプだ。ジェットコースターは、あの最初の瞬間、一番高いところから落とされるときにスリルが凝縮されている訳だけれど、並のジェットならこのとき「うおー!」と叫んでしまうのに対しこちらは「うお」ぐらいで済んでしまう。それでもやはりディズニーがすばらしいと思うのは、どんなアトラクションにもストーリーがとっついてる、という点だ。ネタバレになってしまうから「ライジングスピリッツ」に感じたストーリーはここには書かないけど、ただ乗るんじゃなくてそのストーリーの登場人物を気取るのがアトラクションを楽しむコツです。ま、こういうのは「要らぬお節介だ」と感じて、嫌がる方もいらっしゃるかも知れないけど。 ジェットコースターの魅力というのは、全てあなたまかせ(重力まかせ)ということと、もうひとつ、「それに乗ってもどこにも行けない」ことにある、と僕は思っていて、ときどき人にもそう言っては見たもののあまり賛同してはもらえなかった。説明不足だったんだろう。今でもうまく説明できないけど、それは「円」の魅力みたいなものだ(いろいろ折れ曲がっていても、トポロジー的には閉曲線は円と同相だ)。ひとつの形としてまとまっていること。つじつまが合っていること。全ての過程が、最後には相殺し、消え去ってしまうこと…。僕にとっての円の魅力はこんなところだ。そしてこれは、僕が綴る拙い物語の中で、達成しようとしてきたことでもあった。
12月14日、さいとうさんが絵を10枚ほど届けてくださった。やはりすばらしい出来だった。
これは絶対にいい展示になるな、と確信する。しかし、僕はこれからこのすばらしい絵にせっせこ短歌を書き込まねばならないのだし、用意しておいた作品数が足りないことが今日突然判明した。さいとうさんの絵を眺め乍ら、10〜20首ひねり出すことが必要だ。 どうやら今年のクリスマスは、そんな日になりそうだ。 そういえば、今年の漢字は「愛」だったんだってね。僕の予想は、見事にはずれた。
岡田斗司夫さんのブログ「岡田斗司夫のプチクリ日記」の方から、このブログへ、「プチクリ感想リンク集」としてリンクが張られていた。ただ「落ち込んだ」と書いただけなのにリンクを張ってくださっていたというのははなはだ申し訳ない次第だ。こないだプチクリの話はおしまい、と書いたけど、こうなったらそうも言っていられない。そこで、先人たちの言葉から「プチクリ」的発想に関連しそうなものをいくつか引き、ちょっとした解説(?)を加え、僕がそれらについてどんな風に落ち込んだのかを付記する、という試みをやってみよう。
(もちろんこれは岡田さんの著書「プチクリ」(幻冬舎)をたたき台にして書いているので、できればそちらを読んでいただいた方がいいのですが、岡田さんのブログでもその考え方のあらましは知ることができますので、まずはそちらをご覧ください。) ●無数の多様な宅八郎を! 「『超』言葉狩り論争」(絓秀実さん著、状況出版)からのテーゼ。ここで宅八郎さんを持ち出すのは、岡田さんが「オタキング」だからそれの対置として、ではない。メディア批判のために書かれたこの本では、「俗情との結託」をしりぞけ、「個」として政治化・社交化する道が指し示される(単に世間に広まっているイメージをなぞっているだけでは何も生まれてはこないし、うっかりするとそこから差別に転落することもありうる、ということがここでは指摘されているのだろうと僕は思う)。その社交化の理想として提示されるのが、宅八郎さんというパーソナリティなのだ。 クリエイティビティというのは「個」にはじまるが、「個」で終わるものではない。そこに「個→社交」の道が示されている。「プチクリ」の発想は、「好き=才能」の等式により、一見高そうな「クリエイティビティ」の垣根を一気に押し下げた。個から社交への道を、誰もが踏み出せるようになったのだ。 (落ち込み点)僕にはそんな道を歩いていける強度があるのか。 ●これからの人は、もはや「思想の体系化」にこだわる必要はない。 「存在から存在学へ」(松岡正剛さん著、工作舎)から。「好き=才能」とばっくりととらえ、さまざまな「好き」を自由につなげて表現しよう、というのが「プチクリ」の提案である。確かにここには「思想の体系化」に対するこだわりなどはなく、今自分の中に埋まっている才能ってやつを、言ってみれば「編集的な」手法で掘り出してみよう、という意思のみがある。そこで僕は、「プチクリ」はひところ松岡さんが提唱しておられた「遊学」に近いんじゃないかな、っていう気がした。これなら僕にも引き寄せることができそうだ。 (落ち込み点)しかし、松岡さんはこう言っている。 「私は『創造』や『創造的である』など、神様の仕業ならばともかくも、安易に自慢するものではないと思うのだ。それにしては、『日本人は創造性がたりない』とか『企業の創造性』とかのフレーズが喧しく乱れ飛んでいる。勘弁してもらいたい。」(「知の編集工学」朝日新聞社) 松岡さんは「クリエイティビティ」という言葉を信用していない。これじゃ僕は板挟みである。「プチクリ」と聞いて、反射的に「あ、これはちょっとイヤだな」と思ってしまったのは、この松岡さんの言葉にずっと共感してきたからかも知れない。 ●言ってみればうまく自暴自棄になることこそが、人がよく生きるこつではないだろうか。 「なぜ人を殺してはいけないのか?」(永井均さん・小泉義之さん著、河出書房新社)から、永井均さんの言葉(原文では「うまく自暴自棄になる」と「こつ」に傍点)。ものすごい書名が端的に示すとおり、この本はとても重い本で、ここから引用してくるのはちょっと気がひけるのだけれど、僕は「うまく自暴自棄になること」のひとつに「表現」があるのではないか、と思ったので出してみた。「どうせ俺はこの程度のもんじゃい、ウリャー!」的な表現が僕は好きだ。「プチクリ」は、それこそ「この程度の自分」から直ちに表現へと向かう方法を教えてくれている。 (落ち込み点)そんな表現が他人にも自分にも危害を加えない落としどころは、どうやって探っていったらいいんだろう。
昨日、ようやく「プチクリ」(岡田斗司夫さん著、幻冬舎)を買いました。
結局、Shinjuku迄行かずに、地元Tachikawaの駅ビルのO書店で買うことができました。 本自体は昨日中、2時間かけて読了したのですが、疑問が解けなかったばかりか、読んだあとで僕はひどく落ち込んでしまいました。 落ち込みの内容を何とか書いてみようとも思ったのですが、それすらできませんでした。 問題はとにかく自分にあります。およそ半月間悩みつづけてきた「プチクリ」については、何の結論も出ないまま、ここで一旦おしまい。 悩んでばかりもいられませんので、またぼちぼち何かをはじめるつもりです。 「岡田斗司夫のプチクリ日記」は、こちらから!
9月に送っておいた、小説というかメルヘンというかファンタジーというか…の選考結果が、今日届いた。結果は落選。うむむ、やっぱりこの世界は厳しいのう。
そんな訳で、それこそ1時間ぐらいがっかりしていたので、書き込みをこんな時間にしているのです。今日は例の「プチクリ」を、KunitachiのM書店・T書店で探してみたんだけど、僕の見た限りでは置いてなかった。この分では、明日(というか、もう今日だが)はShinjukuに行かなければなるまい。 文章が落選したあとに、クリエイティブ論の本を買いにいく、という次第になった訳だ。個人的脈絡というのは、妙な形でつながることがあるね。それこそこの感覚を、創作に活かせられればいいんだけど。 < 前のページ次のページ >
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