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数ヶ月ごとに、僕は松岡正剛さんを読みたくなる。これは悪癖に近い。がっかりすることが判りきっているからだ。くだらないことが書いてあるからではない。話は逆で、途轍もないものすごいことが書かれているので、とても追いつけはしない、と思ってがっかりするのである。
例えば、松岡さんがひところ使われていたタームに「遊星的失望」がある。実は僕はこの言葉の意味が正確には判らない。おそらく、「人は地球という遊星条件によって存在しているので、おのずから『地球というクセ』がしみついている。よって、全自然(=宇宙?)を思考するためには『さまざまな地球』へおもむかなければならない、という失望感」のことだろうと考えている。松岡さんを読んだときのがっかり感は、この遊星的失望に近い——と思った途端、「お前は『遊星的失望』へ近づくことができる程の者なのか?」という問いを投げつけられたような気になって、二度がっかりする訳だ。 などと言い乍ら、僕は中学生の頃から今迄、(中断もあったけど)松岡さんの文を読み続けてきたのは何故なんだろう? それは松岡さんの数々の主張の中でもっともとっつきやすいと思われる考え方、「理科系と文科系を分けたって仕方ないじゃないか」に僕なりに呼応しようと思ったからだろう。僕はこの思いをかかえて、何故か「メルヘン」に飛んだ。「メルヘン」が「甘(ったる)いもの」に関する漠然とした形容として使われていた時代に、「メルヘンは出来の悪い砂糖菓子などではない!」と敢然として主張し、それを数々の実例で示したのが、雑誌「詩とメルヘン」の責任編集長だった我らがやなせたかし先生である。よーし、それなら僕も、という訳で、僕はわずかな科学的知識を材料に、拙い文章を綴りはじめたのだ(ゴメン、かっこよく書きすぎた。はじめは単なるこづかいかせぎのつもりだったことは、知っている方はご存知です)。 科学を離れて、もしくは科学に対立して神秘があるのではない。注射器みたいなピストンを、出口をふさいで押し込むことをイメージしてほしい。科学、科学で押し込んでいったとき、押し込みきれないでピュッとはね返してくるものがある、それがおそらく神秘だ。僕は松岡さんの文章からそういったことを読みとり、幻想や神秘をとり扱う短文であるところのメルヘンにこの感覚を流し込もうと思ってきた。今でも思っている。しかし…この世界も巨人だらけで、その背中は大きく、そして遥か彼方だった…。 買ってきた、松岡正剛さんの「遊学」I、II(中公文庫)を読み乍ら、ここ数日の僕はがっかり感にどっぷりと浸かることになるのだろう。それならばいっそのこと、カレイドスコープに迷いこんだ人のようになって、さまざまながっかり感を集めて楽しんじゃうことにしようかとも思っているのだが、はてさてどうなりますことやら…。そう、「遊学」とは「放つ」ことだった。重くなっていてはいけないのだ。
by gcsc
| 2005-11-19 00:17
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